南、鶴ヶ城望めば。

さて、そろそろ会津若松市内の観光名所のご案内を、ということで。

会津を語る上で、まずどうしても避けて通れない話題が『会津松平藩』、『戊辰戦争』、そして『白虎隊の悲劇』についてだろう。

これには様々な立場の方々の色々な見解と意見があることと思うので、主観的な意見は避けるべきなのだろうが、私も会津で生まれ育った人間である限り、やはり一言、語らずにはいられない。

というわけで、今回は思い入れが強すぎて話しが冗長すると思われますんで、ご容赦ください;;

いずれにしても、これらに関する事柄が会津観光のポイントになっているのも一つの事実であろうから、やはりここでまず紹介するのも、そういったものになってしまう。

さて、会津を観光される方々に「最低でもここだけは押さえておいていただきたい」という箇所といえば『鶴ヶ城(つるがじょう)』と『飯盛山(いいもりやま)』だと思う。

では「どちらを先に?」というならば私は飯盛山をオススメしたい。


飯盛山は、白虎隊士達の悲劇の地として知られる。

明治元年(1868)8月23日、戸ノ口堰から飯盛山北麓までのトンネル(長さ210メートル)を通って引揚げてきた白虎隊士20名は、飯盛山から炎上した城下を見て鶴ヶ城落城と判断、全員がその場で自決した(飯沼貞吉のみ蘇生)。
戊辰戦争後、会津藩は朝敵とされ白虎隊士の遺骸も埋葬を許可されず、密かに妙国寺に仮埋葬された。明治2年にようやく飯盛山の中腹に合葬がゆるされ、その後自刃19士の墓が建ち、墓所も拡張され大正15年ごろに現在の形になった。

飯盛山通り』から登り口まで真っ直ぐ参道が伸び、そこから墓所までは長い階段が続く。傍らにはスロープコンベア(有料)があるほど。
徒歩で登って白虎隊士の受難に想いを馳せるのも一興だが、実は途中から迂回路があって、そこを通れば緩い坂となっているので、そちらを通ったほうが楽チン♪
しかも、ただ楽なだけでなく、むしろこちらのほうが正しい順路だと個人的に思っているくらい(理由は、これ以降で;;)。
迂回路は白虎隊記念館の前を左に曲がることになる。
その道を通って、さらに右折すると、敗走する約20名の白虎二番隊士達が飯盛山へ辿り着くのに通ったといわれる戸ノ口堰洞穴(とのくちぜきどうけつ)』の前に出る(写真参照*1)。
疲れきった彼らが必死の思いでここを通り、やがて死地へと向かったのだと想像すると、さすがに胸に迫るものがある。

そこから国の重要文化財にも指定されているさざえ堂の前を通ると、自刃した隊士達の眠る墓所へと通ずる。


・・・さて、長くなってきたので、今日はここまで;;次回に続きますんで、ヨロシク。

*1:ちょっと前のケイタイについたカメラで撮影したので、画像粗いです;;