南、鶴ヶ城望めば。(続き)

さて、時間が開いてしまったけれど、前回の続き。

「さざえ堂」の横を通り、自刃した白虎隊士達の眠る墓所がある広場へと出る(写真)。
ここは、参道から続く長い階段を登りきったところでもある。
この墓前では年二回、会津高校生による剣舞の奉納が行われている。
かく言う私も十数年前、その剣舞奉納を行った一人であるわけだが、今でもその場所を訪れると、そのときの厳粛な気持ちが甦ってくる。もしかすると会津人である自分にとっての「根っ子」にあたる場所なのかもしれない。


思い起こせば剣舞を舞っていたとき、まさに無心であったと思う。特に「供養する」とかいった気持ちは込めずに舞っていた。むしろ、そのほうが不敬であるような気がしていた。
無駄なことは一切考えず、吟者による「少年団結す 白虎の隊」の詩吟に合わせ、乱れなく一連の動作を貫徹することこそが鎮魂であると思っていた。
純粋だったんだね。


話が少し逸れてしまったけれど、ここでもうひとつ、こぼれ話。
この飯盛山には、自刃した士中二番隊19名の墓のほかに、同様に戊辰戦争で命を落とした少年達も合葬されている。いわいる「白虎隊の悲劇」以外にも名も無き多くの儚い命が失われていたことも、見逃してはいけないことだと思う。


実際に19名が自刃した場所は、墓所から少し奥に行ったところにある。
その周辺は現在、一般の墓所にもなっているが、順路の途中には唯一生き残った飯沼貞吉氏の墓も建っている。

その場所に行くと、まさに会津盆地が一望できることが分かる。そして、その視線の向こうに「鶴ヶ城」が見えることだろう。
心身ともに疲弊した白虎隊士達が、ここから煙に包まれた城下を眺めた心境に思いを馳せると、何とも言えない気持ちになる。

さて、この次は、その「鶴ヶ城」周辺の紹介をしていく予定。
では次回に。